オリンパス関係者によると、同社がバブル期に投資した「特定金銭信託(特金)」などの金融商品の含み損は99年3月期の決算まで「短期特定金融資産」(特金資産)や「預金」などの項目に簿価で計上し、明るみに出ることはなかった。
岸本氏が社長に就任したのはバブルが崩壊し、「財テク」の損失が膨らみ始めた93年。元々は営業畑で欧州へ赴任したが、帰国後は社長就任まで経理担当の取締役を務めていた。当時の財務担当幹部は岸本氏について「とにかく数字にこだわった。社長が主導して経費削減をしなければという思いがあった」と語り、社長在任中は「コストカット」に辣腕(らつわん)をふるった。
岸本氏は含み損などの解消に取り組み、95年3月期に474億円余あった特金資産を減少させ、99年3月期には293億円余になった。また、含み損の計上項目ともなっていた現金・預金を95年の1027億円余から98年3月期には776億円余まで減らした。それでもまだ多くの含み損が残っていたとされ、99年に決算の監査を担当する会計士は01年3月期の時価会計導入前に含み損を処理するよう進言。これを受け00年3月期に同社が「出資金」として計上した約300億円について、同社の第三者委員会は損失隠しである「飛ばし」とみている。
この約300億円の出資先の事業について検討する「事業投資審査委員会」の委員長は、当時常務取締役で、損失隠しに深く関与することになる菊川剛前会長(70)だった。【杉本修作、山本太一、山下俊輔】
毎日新聞 2011年11月29日 東京朝刊
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